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ボウリング (クリケット) : ミニ英和和英辞書
ボウリング (クリケット)
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ボウリング (クリケット) : ウィキペディア日本語版
ボウリング (クリケット)

クリケットにおけるボウリング()は、バッツマンによって守られたウィケットに向かってボールを推進させる動作である。ボウリングに長けた選手は「ボウラー」と呼ばれる。有能なバッツマンでもあるボウラーは「オールラウンダー」として知られている。ボウリングはスローイングと厳密に規定された生体力学的定義によって簡単に区別される。ボウリングではスローイングと異なり肘を伸ばして投球しなければならない。バッツマンに向けてボールを投げる単一の動作は「ボール」あるいは「デリバリー」と呼ばれる。ボウラーは6球を1組として投球する、これはオーバーと呼ばれる。ボウラーが1オーバーを投げ終わると、チームメイトがピッチの逆端から投球を始める。クリケット競技規則では、どのようにボールがボウルされなければならないかを定めている〔Laws of Cricket: Law 42 (Fair and unfair play) 〕。もしボールが不正に投球されると、アンパイアは「ノー・ボール」とコールする〔Laws of Cricket: Law 24 (No ball) 〕。ボールがスタンプから離れすぎていたり、バッツマンが打てない程に高すぎたりした場合は、アンパイアは「ワイド」とコールする〔Laws of Cricket: Law 25 (Wide ball) 〕。
ボウラーには、速球を武器とするファスト・ボウラーから、ボールを空中やバウンドした後に方向を変えようと試みるスイング・ボウラー/シーム・ボウラー、様々な軌道やスピンでバッツマンを騙そうと試みるスロー・ボウラーなど様々なタイプがいる。スピン・ボウラーは通常かなり遅いボールを投げ、バウンド後に急激にボールの進行方向が変わるようにボールにスピンを与える。
==ボウリングの歴史==
クリケットの歴史の草分け時代は、下手投げ(アンダーアーム・ボウリング)のみが用いられた。
1760年代から1770年代の間に、ボールを地面に転がすのではなく、空中に放り投げる投球が一般的となった。この革新によりボウラーは距離や空中での変化だけでなく、スピードという武器を手にした。また、スピンやスワーブ(変化球)の新たな可能性も開けた。それに応じて、バッターはタイミングおよびショットの選択を修得しなければいけなかった。すぐに現われた影響は、曲がったバットが真っ直ぐのものに取って代わられたことである。これら全てによって技術が重要視されるようになり、荒れたグラウンドやばか力の影響は低下した。現代的な試合が形を取り始めたのが1770年代であった。ボールの重量は5 1/2から5 3/4オンスの間に、バットの幅は4インチに制限された。後者の規則は、"ショック"・ホワイトと呼ばれたバッターがウィケットと同じ幅のバットを使った後に定められた。1774年、レッグ・ビフォー・ウィケットの規則が導入された。またこの頃、3本目のスタンプが一般的となった。1780年までに、主要な試合の時間は3日間となり、またこの年に初の6シーム(縫い目が6本)クリケットボールが作られた。1788年、(MCC)は競技規則の初版を発行した。この規則では相手を引き摺り倒すことが禁止され、条件を共通にするためにウィケットの周りの芝を刈ったり覆ったりすることが定められた。この標準化の要求は18世紀のクリケット人気の大幅な増大を反映していた。1730年代から1740年代の間には、150試合が当時の新聞に記録された。1750年代から1760年代の間には、試合数は230に増え、1770年代から1780年代の間には500試合を超えた。
19世紀には一連の大幅な変化が起こった。ワイド・デリバリーは1811年に反則となった。ボールの外周は1838年に初めて規定された(重量は60年前に決定されていた)。コルク製のパッド(防具)は1841年に初めて使用可能となった。防具は加硫ゴムの発明を受けてさらに改良され、加硫ゴムは1848年の保護グローブの導入にも使用された。1870年代、バウンダリー(グラウンドの境界線)が導入された。それ以前は全てのヒットは走らなければならず、ボールが観客に入った場合は、観客は守備選手がボールを取れるように道を空けていた。しかしながら、最大の変化はボウラーによる投球方法であった。
この世紀の始めには、全てのボウラーはまだ下手投げでボールを投げていた。しかしながら、伝えられるところによれば、ジョン・ウィルスが「ラウンドアーム」技術(手を体から横に水平に伸ばして投げる)を使った初のボウラーとなった。ウィルスはこの技術を姉妹のクリステイーナから教わった。彼女は幅広いドレスのために下手投げで投球することが出来なかったためこの投球方法を開発した。
しかし、この動作が試合で使われるようになってから間も無く、ラウンドアームはすぐに禁止され、MCCが「ボールは、スローやジャークではなく、ボールを放つ時に手が肘の下に位置した下手投げで投球されなければならない。」としたことによって反則と決定された〔。これが承認された時、規則では腕を肩よりも上に挙げることはできないと規定されていた。しかしながらすぐに、腕を挙げることでラウンドアーム法よりも正確でよりバウンドするボールを投げることができることが分かった。再び、MCCはこの投球方法を禁止した。この投球方法が最終的にMCCによって承認されたのは1835年のことであり〔、すぐに全ての選手の間人気となっていった。これまでに下手投げ投法は試合からほぼ姿を消している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ボウリング (クリケット)」の詳細全文を読む




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